越谷の司法書士・行政書士事務所「美馬克康司法書士・行政書士事務所」
裁判所の判決にあらわれた、刑事上の、おもしろい事件へのご招待です。
(一部について、美馬が、脚色を担当いたしております)
相続・遺言・相続放棄は、当事務所へお任せください。急なご相談も承っております。お気軽にお問い合わせください。
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(東京高等裁判所判決平成元年)
Xは、ギャンブルに狂い資産家である父親に、たびたび金を要求していましたが、父親の全財産がほしくなりました。
そこで、ギャンブル仲間で、馬面でブ男のくせに、女のヒモ生活をしているYに相談し、
Xの両親を殺害し、遺産相続を企てました。
かって、司法試験の勉強をしていて、法律に少しばかり詳しいYは、「民法で、故意に被相続人を死亡するに至らせ、又は至らせようとしたために、刑に処せられた者は相続人となれない、と規定されているから止めとけ。」と、説得しましたが、Xは聞き入れません。
逆に、「親父の遺産は、10億円はあるから、手伝えば3億円やるぜ。」と言われ、
「3億円も入るのか」と、Xへの説得も忘れ、がぜんやる気になりました。ある夜XYは、万引きした刃物を隠し持って、X家にしのびこみXの両親の殺害に着手しましたが、合気道の有段者であるXの母親に投げ飛ばされ、2人とも気絶し、殺害は失敗しました。
XYは、強盗殺人未遂罪で訴えられました。
X・Yは、殺人未遂罪であり、強盗殺人未遂罪ではありません。
財産上の利益を得る強盗罪は、暴行、脅迫によって被害者の反抗を抑圧した上、その意思に反して不法に財産上の利益を得るものです。
その財産上の利益は、反抗を抑圧されていない状態の場合に、被害者が任意に処分できるものであることが必要です。
現行法上、相続の開始による財産の承継は、生前の意志に基づく遺贈あるいは死因贈与とは異なり、人の死亡を原因として発生するもので、その間任意の処分の観念を容れる余地はありません。
このように考えると、財産上の利益には当たりませんから、強盗罪(未遂)の議論の余地はございません。
(熊本地方裁判所判決昭和35年)
X女(19歳)は、掛け算もまともに出来無い、知能指数です。
また、けっして美人とはいいがたいのですが、モデル並みの抜群のスタイルでした。
そのため、口の悪い者は、「人間、何か一つは良い面があるものだ。神は、X女にも御利益を与えた」と、陰口を言うほどです。
年頃のX女のスタイルのよさに、男性の中には、「お茶しない?」「食事どう?」と誘う
者も、少なくありません。
単純なX女は、男性から誘われるたびに、「私は、男にモテルんだ。」と、思っていま
したが、X女に声をかける男性は、殆どがX女を、遊びの対象に考えていました。
ついに、X女は、妊娠してしまいました。相手の男は、誰かわかりません。
X女は、何とかなるだろうと、ぐーたらな生活をしていましたが、何ともならずお腹が大きくなるだけです。さすがに心配になったX女は、中学時代の友人A女、B女に相談しました。
X、A、Bは、勉強のできない、「3馬鹿トリオ」と言われていましたが、「類は友を呼ぶ」のことわざ通り、親友通しでした。3人とも、金もないし、良い方法もうかびません。
しかし、馬鹿でも、「3人寄れば文殊の知恵」です。さっそく、3人で実行すると、男性は、3人女の脅迫じみた言動に恐れをなし、殆どが
金を出しました。意外に大金が集まったので、その金で、3人は成功の祝賀会をしました。
翌朝、「頑張ってこいよ。フレー、フレーX女」と、A・Bに見送られ、残りの金を持ったX女は、隣町のY産科のY医師に、堕胎を依頼しました。Y医師は、X女の堕胎は難しい状態だったので、堕胎を拒絶いたしました。
Y医師の説明中に、気分が悪くなったX女は、そのまま入院をして、その夜に、なんと病室で、男児を出産して しまいました。幸いにも、X女の出産に気づいたY産科の看護師が、適切な処置な処置をとり、嬰児に付着する汚物をふき取り、X女に引き渡した。
ところが、翌日、X女は、嬰児を病室に置き去りにして帰ってしまいました。
Y医師および看護師は、X女が産科の患者として入院した者でもないし、何か必要な物を取りに帰ったのであろうと考え、嬰児に格別の措置をしないでいたところ、嬰児は死亡してしまいました。
X女は、1ヶ月後に、噂話で自分の嬰児の死亡を、知りました。
内心「ラッキー」と、喜びましたが、親友A・Bのアドバイスで、Y医師から、大金をせしめようと、損害賠償を請求しました。
しかし、Y医師は、支払いません。
そこで、X女は、Y医師のことを、警察に通報しました。
Y医師は、保護責任者遺棄致死罪で逮捕され、起訴されました。Y 医師は、無罪です。
Y医師は、分娩終了し嬰児を母親に引き渡した後、X女の行為に困惑していましたが、
消極的な態度に終始していたにすぎません。けっしてY医師は、X女やその嬰児のために、生存に必要な監護行為を開始したものではありません。
よって、Y医師に事務管理に基づく保護責任は発生しません。次に、Y医師が、X女の嬰児置き去り行為を黙って見過ごし、警察や児童福祉施設に通報することを怠ったことは、、道義上非難に値します。
しかしながら、そのことから直ちにY医師に法律上の保護義務を認め、遺棄罪の責任を問うことは、相当ではありません。
(大審院判例大正4年)
AとBは、幼なじみで、小さいころから仲のよい親友でした。
何をするにも、2人一緒で、ともに心を許せるなかで 、お互いに30歳になっても、嫁も
もらわず、気ままな生活をしていました。
ただ、困ったことには、2人とも盗癖があり、盗みまで仲良く一緒にやっていました。
「この前は俺が見張りをやったから、今日は盗む役だ」と、2人で共謀して窃盗をくり
かえしていました。
明治時代末期から大正時代初期の田舎のことですから、盗むのは「金品」はほとんど無く、農家の土蔵に保管された骨董品です。
夜中に盗んだ品物は、リヤカーに積み、上にムシロをかけて、早朝に繁華街にある骨董品店にむかいます。
道中は、途中で昼寝をしたり、道路沿いの農家に忍び込んで食料品を盗み昼食にしたりで、夕方に骨董品店に着きます。
毎回、まずまずの金を手に入れ、その夜は繁華街にある居酒屋で、ドンちゃん騒ぎをやり、泊り込み、翌朝家路に向かうのが定番です。
そのうち、AとBは、居酒屋の女の子C子を好きになりました。
器量のよい明るい女の子で、A・Bにも優しく、2人とも「俺を好いてくれている」と、思っていました。
AとBは、生まれてはじめてライバルとなりました。
いずれも、C子の気を引こうと、骨董品店で手に入れた金をもとに、プレゼント合戦です。
イケメンAは、ブ男で短足のBに勝ったと思っていましたが、なんとC子は、Bを気に入り
結婚してしまいました。
いつの時代でも、男女の仲はわからないものです。
C子と結婚したBは、土木作業員として働き始め、Aとの盗みの「仕事」を止めました。
Aは、絶対自信のあったC子を奪われ、Bも離れていったので、おもしろくありません。
9 しかし、盗みの「仕事」から転職できないAは、1人で盗み、骨董品店への販売を続け
ていました。
が、ある夜盗み先で、その家の風呂場を覗き見し、入浴中の若妻の裸体に1人で興奮
していたところを、主人に見つかり、やっとのおもいで逃げました。
ところが、逃げる際に足をくじき、ふところに入れていた盗品の金の仏像を、骨董品店
へ売りに行けません。
Aは、Bに手数料をやるからと言って、販売を委託しました。
Bは、C子に着物を買ってやる約束をしていたので、Aのため、繁華街の骨董品店へ金の仏像を売りにいきました。
金の仏像は、小さいながらも、驚くほどの大金で売れました。
Bは、Aには、「高く売れなかった」と言って、10分の1の金をわたし、残りをネコババ
してしまいました。
Aは、仕方が無いと思いましたが、足の怪我がなおり盗みの「仕事」に復帰し、骨董品
店へ行ったところ、店の主人から「Bの持参した金の仏像を大金で買った」ことを知らされ、怒り心頭に達しました。
Aは、おろかにも自分の盗みのことも忘れ、Bを、横領罪で警察に訴えました。
Bは、横領罪に該当します。
民法708条は、「不法の原因のために給付をした者は、その給付したものの返還を請求することができない。」と定めています。
この規定は、たとえば、盗みを依頼して報酬を前払いした場合、相手が盗みをしなくても、渡した報酬の返還請求が出来ない、という規定です。この規定の趣旨からすれば、Aが盗品の売却のためBに給付したものを、Bが実際に売却した場合、その対価を原則として返還請求できないと解すべきです。
しかし、横領罪は、「自己の占有する他人の物を横領した」場合に成立するものです。
その目的物は、犯人の持っている他人の所有物であればよいのです。
本事件のように、AがBに対して、民法上の返還請求ができない場合も横領罪に該当します。
なぜなら、Bが持っていた金銭は、B以外の者の所有物といえるからです。
(大審院判例明治43年)
X男は、村でも評判の働き者で、病身の母親のめんどうをみながら、毎朝早くから雇われ
先の、Y家の野良作業に従事していました。
しかも、夜は高文試験(司法試験)を目指し、勉強をしていました。
まさに、苦学生であり、仕事と勉強が趣味という青年でした。
Y家には、X男と同年のY男がいました。
Y男は、仕事もしないで、毎日のように夕方になると隣町の繁華街に出かけ、酒を飲んだ
り、当時流行の玉突き(ビリヤード)をしたり、女の子と遊んだりで、翌日早朝に帰宅する日課です。
村では、Y男のことを、「アホぼん」と呼んでいました。
Y男は、夕方出かける際、野良仕事をしている村民に、「ヤッホー」と挨拶するのが通常でした。
村民は、Y男を見て,「アホぼんのお出かけじゃ」とか、「ヤッホーの、アホぼん出陣じゃ」と陰口を言っていますが、表立っては決して言いません。
なぜなら、Y家は村では、ダントツの金持ちで、野良仕事などに多くの村民を雇っています。
また、Y家の主人は、「影の村長」とよばれ歴代の村長をあごで使うほどの実力者なので
す。
さて、X男は苦学に苦学を重ね、10回目に高文試験に合格し、街なかで弁護士事務所を
開業し、多くの難事件を弁護し、大金持ちになりました。
他方、Y男は遊び癖がなおらず、嫁をもらっても相変わらずの、ぐーたら生活です。
夕方には、「ヤッホー」と村民に、お決まりの挨拶をして出かけます。
そのうえ、博打にも手を出し、たびたび借金取りと一緒の朝帰りです。
ある年の寒い冬の朝、Y家の主人が亡くなりました。
跡取りのY男は、Y家を継ぎ、最初は真面目に働きました。
村民も、「アホぼんが変わった」とか、「ヤッホーが聞けなくなった」と、言うほどです。
しかし、3ヶ月もすると、以前の遊び癖がでて、「ヤッホー」と出かけます。
仕事の代わりに、博打に精を出し、負けるたびに少しずつ財産を失っていきました。
Y家の主人が死んでから、1年後にはY男は、村はずれの掘っ立て小屋に住んでいました。
全ての莫大な財産を失い、女房・子供にも逃げられ、かっての「ヤッホー」の声も聞こえません。
Y家の失った財産は、弁護士となって大金持ちとなったX男が、ほとんど買い取りました。
X男は、落ちぶれたY男を、野良仕事に雇ってやり、賃金以外に麦、味噌、醤油なども
たびたび与え、助けてやりました。
しかし、Y男は昔の小作人に雇われたことに、おもしろくありません。
それでも、X男には何も言えません。
なんとかして、X男を村から追い出そうと考えたY男は、卑劣な考えを思いつき実行しま
した。
Y男は、X男に、「この村を出て行け。さもなければ、お前の家を燃やし、殺すぞ。 徳川
秀吉」との、はがきを郵送しました。
X男は、このはがきに何ら恐れもなく、気にしませんでしたが、3日に1通同様のはがきが届くので、ひそかに多数の人間を雇い、犯人を捜し始めました。
その結果、Y男がこっそりと、3日に1度はがきを投函している事実をつかみ、筆跡も確認して、Y男に間違いないことがわかってから、警察に脅迫罪で逮捕させました。
Y男は、X男の調査に観念して、自分がやったことをを認めました。
しかし、脅迫罪については、X男が畏怖していない(おそれていない)ので、無罪だと主張しました
刑法の定める脅迫罪は、「生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫」することで成立します。
すなわち、規定の法益に対して危害にいたるべきことを、不法に通告することで成立します。
必ずしも、通告を受けた者が畏怖したことは、必要ありません。したがって、Y男に脅迫罪が成立します。
(最高裁判所判例昭和23年)
Xは、生まれてすぐ父親が亡くなった不幸な境遇でした。
それでも、母親を助けて、幼少時から一生懸命に野良仕事に従事していました。
一方、Xと同年の近所のYは、金持ちの一人息子で、親に溺愛されて育てられました。
そのためか、Xのたくましさに比べ、Yは弱弱しさがあります。
12歳の頃には、Xは、60キロの米俵を軽々と担いでいました。
しかし、Yは、少し散歩をしただけでも、息切れがしていました。
Xの母親は、「遊びたい年頃なのに、仕事ばかりをしてXは可愛そうだ」と、Xを不憫に思っていました。
一方、Yの父親は、あまりのYの虚弱児ぶりに、剣道の有段者を家庭教師に雇いましたが、母親が、「剣道なんか習って、けがをしたらYが可愛そうだ」と、Yを不憫に思い1日で中止になりました。
Xが13歳の時、母親が野良仕事の途中に、急にたおれました。
Xは、自家用の馬車で通りかかったYの母親に、「助けてください」と哀願しましたが、「馬車が汚れます」と、拒絶されました。
そのため、Xの母親は亡くなりました。
天涯孤独の身となったXは、Yの母親をうらみつつ、ぐれて不良少年の仲間に入りました。
翌年の寒い冬に、Yの母親は風邪をこじらせ長期入院をしました。
そのためY家では、Yの父親が事業が忙しくて不在がちのため、Yと数人の奉公人のみの
生活です。
これを知ったXは、こっそりとYを呼び出し、繁華街に連れ出し、玉突きとかアルコールを教えました。
Yは、お坊ちゃんとして育てられていましたから、全く未知の世界です。
楽しくて仕方がありません。
毎晩のように、Xらの不良仲間と行動をともにしました。
Xらは、金持ちの息子Yをおだて、どんどん金を持ち出させます。
そのうちに、Yの母親が退院しました。
不良となったYの、あまりの変わりように、Yの母親は気絶しそうになりましたが、もはや母親の言うままにはなりません。
いつかは改心してくれると思いつつ、Yの言うままに大金を与えていました。
Yの母親の退院後、半年してからYの父親の事業が失敗し、Y家は破産しました。
Y家は、全ての財産が人手にわたりました。金のなくなったYは、不良仲間からもチヤホヤされることもなく、体力がないだけによくいじめられています。
Xは、Y家の没落ぶりに、「母親のかたきをうった」と、思っていました。
それでも、Yが自分を慕ってくるので、弟分としてめんどうを見てやっています。
Yは、昔のように金があれば、不良仲間から大切にされると思い、Xに、「兄貴、おいらの家を買ったA宅で強盗しよう」と、もちかけました。
Xも、金がなかったので、「Yよ、お前が首領としてやるなら手伝うぜ。警察に捕まっても、おいらは軽い刑ですむからよ」と、同意しました。
共謀して2人で強盗をすれば、共同正犯で罰せられます。
Xは、無知でした。
そして、手伝うと言いながら、Xは拳銃を手に入れ、ある夜Yを従えA宅へ侵入しました。
言葉とはうらはらに、Xが「首領」です。
XとYは、寝ていたAおよび妻をたたきおこしました。
Xが、拳銃をつきつけ、YがAから大金を奪います。
Xは、Aが舶来製の超高級懐中時計を持っていたのを見つけ、こっそりと奪いました。
大金を手にいれたXとYは、不良仲間と豪遊したため、警察に目をつけられ、簡単に逮捕されました。
X・Yの罪名は、住居侵入罪のほかに、金及び懐中時計を奪った強盗 の共同正犯です。
Xは、「Yが主犯で、自分は手伝っただけだ」と、主張しましたが、通用しません。
次に、Xは、懐中時計は、Aからこっそりと奪ったのだから、それは強盗罪ではなく、
窃盗罪だと主張しました。
金及び懐中時計を奪ったことは、強盗罪であり窃盗罪とはなりません。
理由は、次のとおりです。
(1) 犯人が屋内に侵入して、拳銃を突きつけ脅迫した場合は、家人は畏怖を感じ反抗を
抑圧されることは当然です。
(2) そして、犯人がその間に家人の所持する財物を奪取すれば、窃盗罪ではなく強盗罪となります。
(3) Xが、こっそりとAの懐中時計を奪取しても、Aの反抗を抑圧された状態を利用しての奪取といえることは当然です。
※今回は、結果として、「笑事件」ではありません。悲しい結末となりました。
(広島高等裁判所判例昭和29年)
Xは、地方公務員として村役場に勤めています。
たいした能力もなく、毎朝定時に出勤し、上司から与えられた仕事を時間をかけて、ゆっくりとこなします。
勤務中もイスに座ったまま昼寝をし、夕方定時になると帰宅するという毎日です。
Xは、「定年まで役場に勤めよう。無難に勤め上げるには、『遅れず、休まず、仕事せず』が、一番だ」との、困った考えを持っていました。
Xも、25歳になりました。
次々と友人達が結婚していきます。
Xは、「おいらも早く結婚したいなあ」と考えていますが、なかなか相手がいません。
というのは、Xは、頭がはげてつるつるです。
そして、身長は150センチと小柄ですが、体重は150キロあります。
また、顔は、薄い眉毛の下に、可愛い木の実のようなつぶらな瞳、大きな鼻、分厚い大きないつも開いた唇、そこから出ている出っ歯と、お世辞にも美男子とはいえません。
このような顔立ち、体躯ですから、Xを一度みれば誰もが忘れません。
それでもXは、「人間顔かたちじゃない。おいらの良さをわかってくれる女性が必ずいる」と、けなげな気持ちを持っていました。
役場の人事異動で、Xは戸籍係として窓口勤務となりました。
学校帰りの子供たちが、窓口にいるXを一目見ようとチョクチョク顔を出します。
「役場の顔」として、Xは人気者になっています。
ある日、地元出身のY女が、離婚して実家に帰ってきました。
実家の戸籍に入るため、Y女が手続きに役場を訪れました。
XとY女は、小学校の同級生だったものですから、久々の対面に話がはずみます。
Xは、Y女の離婚を不憫だ、可愛想にと思いました。
Y女は、いちだんとぶ男になったXを、不憫だ、可愛想にと思いました。そのためか、急激に親しくなり、付き合いをはじめました。
Xは、はじめて付き合う女性です。Y女の、再婚禁止期間(離婚から、6ヶ月)を過ぎてから、X・Y女は結婚しました。
電撃結婚に、狭い村中の人々は驚きました。
Y女は、まずまずの美貌ですから、「美女と野獣」の結婚だ、と噂されました。
村のビック・ニュースとなり、二人の新居を見に来る暇な人もいます。
Xは、毎日が嬉しくて、楽しくてしかたがありません。
「おいらの良さをわかってくれたY女は、世界一だ」と、役場の同僚にも自慢しています。
役場の同僚は、「信じられない出来事だ」と、冗談にXに言いますが、Xは、「人間は、顔じゃないんだよ」と、ニタニタ顔です。
Y女は、Xに良く尽くし、理想の嫁でした。
しかしながら、Y女はXの、嫉妬深さ、ヤキモチに困っていました。
Xは、Y女に毎朝、出勤前に次のように言います。
「買物に行っても、店の男どもとは話してはだめだ。」
「道の反対から、男が来れば横によれ。相手の顔を見るな。」
「知り合いの男でも、挨拶はするな。」などです。
そして、Xは役場から帰宅すると、Y女の一日の行動を詳しく聞きます。
たまたま、Y女が隣の家のA男と会ったので挨拶をした、などと言えば烈火のごとく、異常に怒ります。
ある夜、村の寄り合いがありました。
Xが、珍しく役場の残業だったもので、Y女が参加しました。翌月の、村の寄り合いの日は、Xが同僚の不幸があり参加できません。
Xは、Y女に、「絶対に、寄り合いに行くな」と言い、家を出ました。
Y女は、Xとの約束を守っていましたが、隣家のA男の強引な誘いで、「早く帰ればよい」と思い、寄り合いに参加しました。
Xは、Y女のことが心配になり、同僚の不幸の式に顔を出しただけで、すぐ帰宅しました。
Y女は、早めに隣家のA男に送られて帰宅しましたが、すでに遅かったのです。
Xは、妻Y女が隣家の男性と不倫関係にあると邪推しました。
その夜から、連日Y女に虐待・暴行を加えました。
村役場には、有給休暇をとり、昼夜を問わずに、常軌を逸した虐待・暴行を加えます。
そして、「A男との不倫を認めろ」と、執拗にせめます。
Y女が、いくら否定しても、Xは聞き入れません。
「A男との不倫を認めれば、許してやる」との言葉に、虐待・暴行のあまりの苦しさに、
Y女は、「A男と、不倫をしました」と、嘘をつきました。
Y女は、これで解放されると思いました。
しかし、Xは、「やっぱりそうか。なんで不倫をした」と、さらに暴行を加えます。
そして、「お前みたいな女は、自殺しろ」と、以前にも増しての虐待・暴行です。
また、「不倫をしました。申し訳ないので自殺します」との書面を、Y女に強制的に作成
させました。
Y女は、Xの、執拗な肉体的・精神的圧迫に耐えられなくなりました。
虐待・暴行の始まった日から10日目の深夜のことです。
暴行の最中でしたが、「便所に行く」と言って、そのまま帰ってきませんでした。
Y女は、こっそり用意していたひもを使い、便所で自殺したのです。
検死をした医者は、Y女の体についた無数の傷跡、内出血などから、殺人の可能性があると警察に通報しました。
Xは、「Y女は自殺である。自分は、自殺しろと言っただけだ。」と反論しました。
自殺とは、自己の自由な意思決定によって、自己の死を招くことです。
そして、自殺の教唆とは、自殺者をして自殺の決意を生ぜしめる一切の行為です。
その方法は、問いません。
したがって、犯人が、威迫によって他人を自殺するに至らせた場合に、
(1) 自殺の決意が、自殺者の自由意思によるときは、自殺教唆罪となります。
(2) 自殺者の、意思決定の自由を奪う程度の威迫を加えて、自殺せしめたときは、もはや自殺教唆ではなく、殺人罪となります。
本件の場合、Xの虐待・暴行・脅迫行為が、Y女の自殺決意につき、意思の自由を失わせる程度のものであったと認めるべき確証はありません。
よって、Xの行為は、自殺教唆に該当します。
(東京高等裁判所判決昭和37年)
X男は、東京の某有名大学を卒業し、A商社に就職しました。
気の弱い性格で、お客さんと対話をしても、言いたいこともいえません。
そのため、会社の上司も、来客対応のない事務に人事異動をさせました。
26歳になってもプライベートでは、女性と話をしたこともないような男性です。
同僚の女性が、仕事上のことで話しかけても、真っ赤な顔になり、何も言えません。しかし、X男は、英語・フランス語・ドイツ語・ロシア語・スペイン語に堪能で、社内で一番の語学力です。
そのため、会社もX男を解雇できずにいました。
フランス・ドイツ・ソ連などの商社と取引する場合には、X男は必ず同席します。
しかも、不思議なことに仕事上外国語で話すときは、相手が女性でも流暢に話します。
そのため、X男を指名で国際電話がかかることも、よくあります。
ところが、X男の語学力にほれ込んだ相手国の女性が、X男をデートに誘うと問題です。
2人きりになると、X男は顔を赤くして何も話せなくなるのです。
そのため、デートはそれで終わりとなります。
会社の同僚が、うらやましがるような金髪の美女とも、何の進展もなく終了です。
こんなX男ですが、同僚のY女を好きになりました。
もちろんY女は、X男を馬鹿にしていますから、X男の片思いです。
Y女と眼があっただけで、X男は顔を赤くします。
当然ながら、話しかけることなどとても出来ません。
それでもX男は、Y女のことが、好きで好きでたまりません。
ある日、思い切ってラブレターを書き、Y女の机に入れました。
「Y女さん、好きです。付き合ってください。」との内容のラブレターです。
X男としては、清水の舞台から飛び降りるぐらいの勇気が必要でした。
Y女の机に手紙を入れた翌日は、恥ずかしくてX男は、欠勤しました。
翌朝出勤すると、Y女からの手紙と共にX男の書いた手紙が、X男の机に入っていました。
X男の書いた手紙は、赤ペンで所々が修正されています。
Y女は、書道の師範の資格を持っていましたから、X男の汚い字を添削・修正したのです。
Y女の手紙には、「友達としてなら、いいですよ」との内容が、書かれていました。
Y女は、X男を馬鹿にしていましたが、おもしろがって書いたのです。
そうともしらないX男は、嬉しくて天にも昇る気持ちです。
こっそりとY女を見ると、光り輝いて見えます。
仕事も手につかず、ちょくちょくY女を見ています。
たまに眼が合うと、Y女がニッコリ微笑むものですから、真っ赤になり失神しそうです。
X男は、勇気をだして、夕食に誘う手紙をY女にわたしました。
手紙をわたすだけでも、心臓がドキドキです。
X男は、早めに出かけ、指定した高級フランス料理店で待っていました。
そこに現れたY女を見て、やっとの思いで、「き、き、今日は、あ、あ、ありがとうございます」 と、真っ赤になって、挨拶をしました。
Y女は、ニッコリ笑って席につきます。
それからはX男は、赤い顔をして、じっと下をむいたまま何もしゃべりません。
しゃべりたくても、話せないのです。
高級料理が、次々と運ばれますが、Y女のみ食べています。
Y女も、X男に何も話さず、飲み食いしています。
X男は、何も食べないまま夕食のデートは終わりました。
X男は、腰が抜けたような状態なので、Y女は、「ごちそうさま」と、言って帰りました。
あわれにもX男は、体全身にびっしょりと汗をかき、一人残されました。
ふがいない自分自身に、X男は、その夜大酒を飲み、今後の対策を考えました。
「そうだ、デート前に酒を飲んでいこう」と、思い立ちました。
翌々日、またもY女を夕食に誘いました。
今度は、高級中華料理店です。
Y女は、おいしい料理が食べれるので、OKしました。
指定の料理店にY女が行っても、X男は来ていません。
若干遅れたX男は、「Yさん、遅れてすみません」と、挨拶をします。
デート前に、酒を飲んできたのです。
これにはY女は、びっくりしました。
食事中も、なにかとX男が話しかけます。
Y女は、X男の急変に、料理の味もわからないほどです。
酒を飲んだ勢いのX男は、べらべらしゃべります。
そして、食事もしないで、酒ばかり飲んでいます。
夕食のデートが終了後、「Yさん、送っていきます」と、無理やりタクシーに相乗りです。
Y女は、「これが、あのX男か」と、すっかりあきれて同乗を拒否できない状態です。
Y女のアパートに着くと、図々しくも、「部屋まで送ります」との言葉に、さすがにY女は拒否しましたが、その強引さに負けました。
部屋の前まで来ると、X男はY女から鍵を奪い取り玄関を開けY女を引っ張りこみました。
そして、強姦目的でY女に襲いかかり暴行をくわえ、Y女を反抗不可能の状態にしました。
日頃のX男からは、全く想像できないことです。
Y女は、「お金をあげるから、放してください」と、哀願しました。
その言葉に、X男は悪かったと思い、Y女の身体から離れ立ち上がりました。Y女の警察への通報で、X男は簡単に逮捕されました。
X男は、住居侵入罪・強姦未遂罪・強盗罪で起訴されました。
ところが、X男は、強盗罪については、「Y女からもらった」から成立しないと、法定で争いました。
X男に、住居侵入罪・強姦未遂罪のほかに強盗罪が成立します。
強盗罪成立の理由は、次の通りです。
(1) 強姦の目的でなされた暴行行為で、女性を反抗不能の状態に陥れた場合、女性は犯人が現場を去らない限り、畏怖状態が継続します。(最高裁判所判決昭24年)
Xは、資産家の息子でした。
Xの父親は、造り酒屋で、江戸時代からの旧家です。
Xの父親の、製造・販売する清酒は、超一級品です。
そのため、県内外を問わずに、はばひろく愛飲家に支持されていました。
Xは、姉が6人おり、やっと生まれた男子です。
そのため、お坊ちゃんとして、だいじに育てられました。
Xの父親は、政治力もあり、村役場の村長室にも 自由に出入りしています。
村の、「影の村長」といわれ、誰も頭があがりません。
あるとき、Xの父親にたてついた村会議員がいました。
あくる日から、その村会議員は、村中の人々から村八分にあいました。
「あのやろう、やせてるくせに、影の村長にたてつくとは、太い野郎だ」と、村八分です。
お店では、何も売ってもらえず、誰も口をきいてくれません。
子供も、学校でいじめられ、女房も、女連中にいじめられます。
ついに、その村会議員一家は、夜逃げをしました。
小さい村だけに、Xの父親の権限は、それほど絶大だったのです。
村の人々は、Xのことを、「造り酒屋さんとこの、X坊ちゃん」と呼びます。
当時は、子供たちはお互いに、「田吾作」、「権兵衛」とか、名前をよびすてます。
しかし、Xのことは、「Xさん」とか、「X坊ちゃん」と、よびます。
悪がきが、たまに、「おい、X」と、よぼうものなら大変です。
その日のうちに、悪がきの親はXの父親によびつけられ、こっぴどく怒られます。
当時、男の子たちの間では、「チャンバラごっこ」が、流行っていました。
日本刀にみたてた、木や竹をふりまわし遊ぶのです。
相手に切られた?者は、「やられたー」と、言って死んだふりをします。
時代劇の映画全盛だけに、一応のかっこうをつけた遊びでした。
Xの父親は、Xのために、「鞍馬天狗」の黒頭巾、着物、おもちゃの刀を買いました。
これも、当時の映画の影響ですが、まさに「親ばかチャンりん」です。
「チャンバラごっこ」をするときは、Xは黒頭巾、着物、そして刀をさして登場します。
当然ながら、Xが主役です。
XおよびXの指名する4~5人以外は、すべて悪人役となります。
悪人役は、全員切られ役で、死にます?。
おもしろくない子供は、たまにXに切りつけますが、Xは絶対死にません。
「X坊ちゃん、切られたから死ななきゃ、あかんぞな」と、言ってもだめです。
「おらは、鞍馬天狗だべ。絶対に死なんぞな」と、かってな反論です。
ある日、Xの背後から、Xの頭を木の棒で切りつけた、男の子がいました。
Xは、大泣きをし、父親に話しました。
Xに切りつけた男の子の父親は、Xの父親に雇われていましたから大変です。
男の子と両親が、いくら土下座をして謝っても許してくれません。
さんざん怒られたあげく、男の子の父親は、解雇されました。
まったく、無茶苦茶な話です。
Xは、学校の成績は、中の下でした。
また、同級生に、人望があるわけでもありません。
しかし、どういうわけか毎年・毎学期、ずっと学級委員長です。
Xの父親が、担任教員に、圧力をかけるのです。
Xは、東京の大学に進学しました。
貧しい村ですから、初めての大学生です。
「東京の大学?すごかとね」と、村の英雄です。
しかし、当時は一般の私立大学は、無試験というところが多数ありました。
Xは、そんな大学の一つに入学したのです。
山奥の村から出てきたXにとって、東京は刺激が強すぎたようです。
大学に通うのではなく、毎日、繁華街をうろついたり、勉強など全くしません。
そのうち、麻雀を覚え、悪友と雀荘に入りびたりです。
どういうわけか、Xは麻雀の覚えもよく、メキメキと腕をあげました。
大学は、授業料を親が納めるだけで、全く出席しません。
したがって、落第、落第で、5年たっても、1年生です。ある日、いつものように、麻雀に勝ちました。
しかし、悪友の相手が、「金がない」と、言います。
悪友の負け相手は、「これで、勘弁してくれないか」と、警察手帳を出しました。
「実は、拾ったんだ。何かの役にたつよ」と、言います。
Xが、その警察手帳を受け取り、貼られた写真をみると、Xによく似ています。
Xは、興味を持って、「よーし、いいだろう。これでチャラだ」と、清算終了です。
Xは、悪友相手の麻雀に連戦連勝でした。
あまりに強いとの評判に、プロの雀士に目をつけられました。
「麻雀では、誰にも負けない」と、天狗になっているXです。
相手は、誰でもかまいません。
しかし、プロの世界は、甘くありません。
掛け金の高い麻雀で、プロが相手です。
Xは、連戦連敗です。
「勉強に必要だ」と、金持ちの父親からは、いくらでも送金されます。
が、あまりにも悲惨です。毎日、大金を失うのです。
それでも、麻雀を止めることができません。
ある深夜、負けてトボトボと、寂しいわき道を、下宿に帰って行きました。
すると、とある倉庫の前で、泥棒が盗品を持ち出そうとするのを、見つけました。
リヤカーに、盗品を山盛りです。
しばらく見ていたXは、良い考えが思いつきました。
Xは、以前に、悪友から麻雀の負け金の代わりに、警察手帳をもらっていました。Xは、「お前、泥棒だな。署まで来い。」と、威圧的です。
犯人は、「だんな、勘弁してください。二度としませんから。」と、土下座です。
Xは、「よし、今度だけは許してやる。だが、取調べの必要があるから、リヤカーごと
差し出せ。 そうすれば勘弁してやる。」と、脅します。
犯人は、「へい。ありがとうございます」と、急いでその場を立ち去りました。
Xは、リヤカーを引いて、下宿まで帰り、盗品を自分の部屋に持ち込みました。
これを見ていた者がいます。翌日、Xは、盗品の「錦糸」を、リヤカーに積み込み、知り合いの故買屋に運びました。
上等の品だったので、かなり大金となりました。
泥棒君は、Xのあとをつけ、Xの一部始終を見ていました。
「泥棒の上前をはねるとは、なんという警官だ。にせものかもしれん。」
泥棒君のうったえで、Xは逮捕されました。
Xは,恐喝罪で訴えられました。
Xの父親は、X可愛さに、優秀な弁護士をつけました。
Xの弁護士は、「窃取した物を、奪っても無罪だ」と、争いました。
窃盗犯人の持っていた「錦糸」は、盗品であることはあきらかです。
したがって、窃盗犯人は、それについて正当な権利を有しないことは、明白です。
しかし、正当な権利のない者の所持でも、所持として法律上の保護をうけます。
たとえば、窃取した物を強奪すれば、処罰されます。
本件の、Xの行為は、盗品を所持する者に、脅しをかけています。
そして、盗品を交付させたのです。
したがって、Xは、恐喝罪となります。
(最高裁判所昭和50年決定)
Aは、関西地方の旧家に生まれました。
幼い時から頭がよく、「神童」と呼ばれていました。
父親は、女性関係がもとで蒸発していましたが、母親と母親の両親との4人家族です。
たしかに、Aは勉強がよくでき、小学校では、当時の通信簿で、オール5(5段階で、5
が最高表示)でした。
そのため、関西地方では、トップの私立中学を受験しました。
担任の教師も、「絶対、合格できる」と、太鼓判でした。
ところが、運悪く不合格でした。
原因は、前日の夕食が悪く、大変な下痢をして、試験中も腹痛との戦いで、試験問題にも集中できなかったことです。
夕食は、Aの祖父が、「栄養をつけて、明日の試験を頑張れ」と、「すっぽん」を買って
きたのでした。
Aは、はじめて食べる「すっぽん」のおいしさに、つい食べ過ぎて失敗したのです。
難関私立中学に入学できなかったAは、地元の公立中学に入学しました。
公立中学でも、3年間トップレベルの成績でした。
そこで、県内の有名進学校を受験し、見事に合格しました。
高校では、優秀な生徒が県内から集まっており、「神童」Aも、下位の成績でした。
大学は、家庭の事情で国立大学しか行けません。
四国の国立大学の、教育学部にやっと入学できました。
そして、大学の4年間は、アルバイトに精を出し、成績はビリのほうでした。
教員採用試験は、各県を5県ほど受験し、やっと中国地方の、とある県に採用されました。
末は博士か大臣か、と言われたかっての「神童」も、中学校の教員になりました。
子供好きのAにとっては、中学校の教員は、楽しい職場でした。
なんとか教員生活にも慣れ、毎日まずまずの生活です。
学校では、生徒から「先生、先生」と呼ばれるので、自分は偉いのだと、勘違いをして
います。
人に職業を聞かれると、「教員」と答えずに、「先生です」と胸をはって答えました。
授業中は、きれいな女子生徒を、ちらちらと見ながらの授業で、平凡な男です。
教員になって3年目の、4月下旬です。
ある女子生徒の母親B女が、「進路のことで話がある」とのことで、放課後の教室で、
AとB女の2人だけで、話をすることになりました。
B女は、スナックのママさんで、美人タイプであり、Aの好みでした。
AとB女は、最初は、当たり障りのない話をしていました。
話の途中で、B女は、額面5,000円の贈答用小切手を、そっとAに手渡しました。
Aは、内心うれしかったけれど、「こういうことは、困ります」と、返却しようとしました。
しかし、B女に手を握られ、「先生、よろしいじゃないですか」と言われ、受け取りました。
女性に手を握られたのは、初めてなので、頭に血がのぼり、顔は真っ赤です。
この一部始終を、Aの同僚の教員C男が、こっそりと見ていました。
C男は、前年度に、B女の子供の担任であり、B女をよく知っており、ひそかにB女に
好意を持っていました。
この日、B女が学校を訪ねてきたので、てっきりC男自身に会いに来たと思ったのです。
ところが、B女の相手はAだったので、腹立たしくなり、A・B女の現場を見ていたのです。
教員C男は、昨年度に、B女から 何度か贈答用小切手をもらっていました。
B女は、「Bの子供をよろしく」と、腹心あっての贈与です。
しかし、C男は、そのことを「B女は、俺に気があるのだ」と、思っていたのです。
そのため、B女がAに会い、小切手を渡したのを見て、C男は頭にきました。
かっての事を忘れ、「賄賂だ」と、警察に通報しました。
AおよびB女は、無罪です。
女生徒の母親B女は、かねてから教育ママであり、担任教員には季節の贈答や、学年初めの挨拶を熱心にしています。
これらの贈答は、儀礼的挨拶の限度内と考えられます。
すなわち、その限度を超えて、教育指導につき、他の生徒に対する以上の特段の配慮や便益を期待する意図があったとの特段の事情は、認められないのです。
B女の、本件の小切手の供与も、新担任Aへの、慣行的社交儀礼としてなされたものと
解されます。
したがって、賄賂罪にはなりません。
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